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- 真福寺村(近世)とは
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真福寺村(近世) 江戸期~明治8年の村名美濃国方県【かたがた】郡長良【ながら】三郷のうち新福寺村とも書く尾張藩領「元和領知改帳」によると村高800石,「正保郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」はともに806石「濃州徇行記」によると,村名の由来は,白山峰の麓に観音堂があり,もと天台宗で七堂伽藍の大刹で,門前に12坊あり真福寺といったことによる大宝年間に守屋大臣の子真福が建立し,その後美濃守頼国により寺領700余貫文が寄付されたという廃寺の年は不明寛政年間ごろの大門は長さ113間・横4間であった寛政年間ごろの戸数269(うち高持161・無高108)・人口1,135,馬19長良川渡船2艘は上福光村との共有で船頭給の支給はなかった鮎をとる鵜飼船が5艘ある特産物は長良莱菔(大根)の干物真竜寺・覚願寺は浄土真宗西派越中の聞名寺の末寺専応寺は浄土真宗西派京都本山の直末寺真性寺は浄土真宗東派京都本山の直末寺鎮守天神神社は長良天神とも称し北美濃街道東にあり,祠官正木氏が掌していた出郷天神は上福光村との村境にあり,五社権現社・六社神社は山麓にある明治4年岐阜県に所属同8年長良村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
真福寺村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
真福寺村(近世) 江戸期~明治元年の村名上総国市原郡のうちもとは内田村の一部で,元禄年間以前に分村し,江戸期は内田を冠称ただし,江戸期を通じて内田村としても機能し,享保年間以降は下内田村のうちとも見える「上総国村高帳」では旗本永井氏領,「旧高旧領」では旗本伊丹氏領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに92石余,「旧高旧領」93石余「上総国村高帳」では家数19寺院は真言宗真福寺明治元年鶴舞藩領に編入されるに際し米沢村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」